「留年したときの周囲の反応は?〜家族編〜」
【留年日記】
「留年したときの周囲の反応は?〜家族編〜」
家族については、正直に伝えたところ、理解してくれました。
留年が決まってから1〜2日後くらいに、
精神的に自らを落ち着かせてからカミングアウトしました。
泣きながらの土下座は人生最初で最後にしたいものです。。笑
留年が決まってからの私の動きと、どう行動したかをつらつらと書きます。
留年が決まった瞬間は、絶望しすぎて親友の2人くらいにしか話せませんでした。
(一人は就活中でクッソ忙しいのにも関わらずスーツのまんまスタバに呼び出して、
もう一人はこれからWEBテストに臨むっていうところだったのに
真剣に相談に乗ってくれてほんと感謝です笑)
しかし、私も21歳の大人でしたし、親に泣きついて嘆くのではなくて、
親に言う前に今後どうするかまで決めてから伝えよう、
と思っていました。
そこで留年後1〜2日間考えて、
・なぜ留年したのか
・今後スケジュールをどう過ごしていくか
・学費をどう稼いで返済するか
といったことを、
私なりに論理的に考えて、ただ嘆くのではなくて、
留年の原因何か、今後どう改善すべきか、留年により生じる問題(就活、学費)に対してどう解決するかをプレゼンしよう。
そう心に決めて家に帰ろうとしました
が、しかし、
ドアに手が掛かりません。
まるで飛び込み営業かのように自宅のドアをノックすることができませんでした。
いや何なら社会人で飛び込みしたけど、
「留年の時よりは全然緊張しね〜なあ〜」
とか思ってました。
あ、死ぬ。あ、殺される。
もう死滅したい。
そんな風に勝手に絶望して、なかなか言い出すだころか、家にも帰れていませんでした。
(※実際にそんなことはありません。家族は暖かいです)
ただ決心をして、今日言わないとずるずる引きずってしまう。
悪いことは早めに伝えよう。
遅く伝えても事実は変わらない。
そう思って割と数分でドアを開けて、
ソッコーで話があると慎重な面持ちで母親の前に行きました。
原因、改善点、今後について話そう。
そう思っていざ母親を目の前にした瞬間
「留年決まりました、本当にごめんなさいいいいい」
泣きながらの土下座でした。
改善点とか今後どうするかなんて何も言えませんでしたね
今まで考えてたこと全部無駄でした笑
とりあえず本気で誠実にまず謝りました。
申し訳ない気持ちで一杯でしたので。
とはいえ真剣に伝えたところ、親も呆れながら、
その時に母親から言われた言葉が、僕の人生にとってはとっても刺さるものばかりでした。
「100%やって80%の結果が出る。
80%でやれば60%、30%にもなる。
あなたは100%やっても60、50%の力しか出ないから、
全力でやりなさい」
「今までの人生の甘さが出た」
「ミスなんてない。“できるものをできなかった”なんてない。
英語のmistakeは間違い。
全ては白と黒で、あなたは黒。グレーなんてない。
まずは留年を受け止めなさい」
「同情してもらうような態度は絶対とるな」
この言葉を胸に刻み、
留年なんて関係ねえって言い張れるくらいに走り抜いてきました。
とまあ赤裸々に書きましたが、
僕が大事にしているのは、嘘はつかないこと。素直でいること。
です。
僕が留年したのは紛れも無い事実で、怠惰な自分の証拠となるものでした。
就活中に出会った恩師の方に言われたことで、ハッとしたことがあったのですが、
「君は、留年するための準備をこれまでの人生で積み上げてきたんだよ」
「自分に甘く、手を抜いてきてその場しのぎでなんとかしてこれまで生きてきたんだ。
そんな生き方の積み重ねが留年に繋がったんだよ。」
死ぬほど響いたなああ。
というかやっぱり本質的なことを言ってくれる人には感謝しかありません。
僕は本当に自分に甘い人間で、いつもいつも言い訳を考えるのだけは本当に人5倍うまい自信があります。
そうやってごまかして生きてきた自分に、ぐさっと刺さる内容でした。
留年をしてからプライドは吹っ飛びました
(まだまだプライド高い自分だなあと感じますが、、)
とにかく素直に正直に、嘘つかないで生きようって心から思いました。
だから僕にとっては人生において留年は必要だったなあって感じています。
(ポジティブ笑)
人生に「失敗」がないと、人生に「失敗」する。
これからも「留年」した人生を正解にしていきます!!!
あお