「留年を通して、『留年』に対して考えが変わったことは?」

【留年日記】

 

 

「留年とは自分がこれまでの人生で行ってきた蓄積の結果である」

 

というのが私の留年の見解です。

 

 

 

つまり、留年したという事実は、

 

これまでのダメな自分の行いの積み重ねが、留年をもたらした。
私が日々留年をするための準備をして来た

 

という意味になります。

 

 

 

 

 

 

振り返ってみるとまさにそうでした。

 

 

 

私が落単した科目については、いつも人に頼ってました。

レポートは友人や友達の回答を丸写し、テストも過去問を丸暗記して、

だいたいこれくらい取れればCは取れるだろう

 

そんな甘い考えでした。

 

 

そもそも私の1番の課題は、

危機想定能力が圧倒的に欠如していることでした。

(つまり現状認識が甘いということです)

 

自分の実力を過信していたなあと、今でも思います。

 

 

評価Cを取るための勉強しかしていなかったのが自分でして、

当日のテストが難しかったら、Dになる可能性はすごく高いですよね?

そんなことも考えず、試験勉強に取り組む習慣が高校生の時からついてしまっていたんですよね。

 

必要最低限の知識だて詰め込んで、その場しのぎなテストを受ける悪い習慣の結果が留年に繋がったと確信しています。

 

この弱点に気づいてから、

どんな試験や目標もAを取るための準備をしようという考えに変わりました。

 

つまり目標設定を高くできる自分に変えるよう「習慣」づけていました

 

大事なのは「習慣」です

一瞬の風速では変わりません。

 

(皆さんは最初からこのように高い目標を設定をすることができる方もいるとは思いますが、

悪魔でも自分自身の人生においては「成長体験」となるものでした)

 

 

頭の中ではわかっていながらも、

実際にAを取るための勉強量だったり努力ってこんなに必要なんだなと痛感しました。

特に私は昔から要領が良い方ではなく、人の倍勉強してやっと人並みという人間なので、それなりに理解に苦労しましたが、友人に助けられ、参考書を読み込み、最終的にはAを取得することができました!

(まあ落単した科目はめちゃくちゃ簡単な科目なんですけどね笑)

 

ただ僕個人としては成長できたと思いますし、一年前の自分に対してのけじめをつけることもできたかなと自己満足してます。笑

 

 

 

つまり留年を通じて、

 

A:目標設定が低い人間、現状認識が出来ていない自分
 
↓   留年を通じて
 
B:目標を高く設定できる、そのために2倍の努力ができる自分に

 

 

という自分にとっての成長体験につながったということです。

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと、

留年というのは自分の弱さを表した象徴だと思います。

 

留年した当初は孤独を感じ、苦しいかもしれませんが、

 

・自分の何が悪かったのだろう

・これからどこを改善すれば良いのかな

 

そういった自分を振り返る機会に繋がれば、

留年もより良い経験に繋げられると思います。

 

 

 

留年すらも「武器」に変える

 

 

 

ではでは

 

 

 

あお